昭和40年カルテに書かれた私の病名は「慢性関節ロイマ」でした。
ロイマとはロイマチスのことでしょうか。これは古い呼び方ですが
最近「慢性関節リウマチ」の慢性が取れて「関節リウマチ」になりました。
この病気は、自己免疫疾患といいまして、元来自分の身体に
無かった有害なもの(ウイルスや細菌)を排除しようとする働きが、
どういうわけか自分の身体(関節の内面を覆う滑膜)をやっつけようとしてしまうのです。
そして滑膜に炎症がおこり、軟骨、骨へと破壊が進んでいきます。
発病
今から考えるとあれがリウマチ発病の、最初の兆候だったのでしょうか。
夜になると今まで経験した事の無い足のだるさに、眠れない日々が続いていました。
私はまだ26歳、最初の子供を出産してから一年半位で、リウマチの知識も全く無く考えてもみませんでした。
そのうちに、最初手の指の第2関節がぷくっと腫れてきて、
どうしたんだろう痛いなぁもしかしたら、おしめを洗うのが負担に
なっているのかしら?と思ってすぐには病院へ行きませんでした。
(当時、洗濯はたらいで手洗い)でしたので。 そのうちに、足の指まで
腫れてきてびっこをひくようになり、仕方なく病院へ行くことになりました。
そこでは、どんな病気なのか何の説明もなく、お尻に注射をされましたが
飲み薬はあったかどうかさえ覚えていません。とにかくずいぶん昔の事ですので。
どんな病気にも言える事ですが『早期発見・早期治療』は非常に大切だと後になって分かりました。
お尻の注射も期待したほど効かず、いつの間にか病院へ行くのをやめてしまったのです。
この時病名をはっきり先生から言って欲しかったと今でも思っています。
当然良くなるはずも無く、手や足が痛いと言う事をある人に話したら、市民病院に
良い先生が居られるので、一度診てもらうように助言されて、それより
以来ずっと今もその病院のお世話になっています。
病名はリウマチ
そこの病院ではっきりと「りうまちです」といわれ
「今のところまず治ることはないでしょう、でも医学が日に日に進歩していますので、良い薬が出てくれば治る事も有ります。」
といわれました。その前に家にある「家庭の医学書」を読んでいたのですがリウマチの症状にそっくりで、
そうでない様にという思いも吹っ飛んでしまいました。
或る日外来でリウマチだという人の手を見てびっくりしました。
いつか私もこんな手に?と思いきって先生に尋ねますと「はい、いつかはなります。人によって差はありますが」、
先生のその言葉に目の前が真っ暗になったようでした。
そして金の注射(シオゾール)を続けていましたら、効いてきたのでしょうか。
だんだん痛みが和らいできて、治ったように調子が良くなりました。
飲み薬は青と白のカプセルに入ったインダシンと、胃の粉薬DDEに、座薬インテバン50ミリ、だったと思います。
出産(治療を一時停止)
丁度上の娘が4歳になっていましたので、思いきってもう一人子供が欲しいと先生に相談しましたら
「お産をする事でリウマチが良くなる人もいるから生みなさい」と言われ、その日からぴったりと薬
(インダシン、胃の薬DDE、金(シオゾール)とステロイドの注射、インテバンの座薬)を止めました。
やはり薬をやめると痛みが出てくるし、身体のだるさは例えようが
ありませんでした。なんとか10ヶ月辛抱し、2600gの女児を授かりました。
この子はあまりだっこや、おんぶをしてやれなかったのですが、この間それを言いましたら、
おんぶをしてもらった記憶があると言ってくれて、嬉しかったのを覚えています。
治療再開
先生が言われたお産をするとリウマチが良くなるというのは
私の場合当てはまらず、かえって薬を飲まなかったので悪化しました。
産後、3ヶ月程して又シオゾールの注射を再開、注射をしてもらっている間
子供は看護婦さんがだっこというスタイルが、長い間続きました。
リウマチ薬はシオゾールに始まり、いろいろとかわりましたが現在H12年から
飲み始めたリウマトレックスがよく効いてCRPが0.4という状態です。
今、私の手は、先生の言われたように変形しましたが、それでもこの手は大事な手でまだ出来る事はいっぱい有りますから
、一生大切にしていきたいです。
そして失った物は数えきれませんが、残された機能をフルに生かして前向きに暮らしたいものです。
39年お世話になった病院の担当医は、最初から数えて、
7人目になりますがどの先生も、良い先生でそのことは恵まれていたと思っています。
ただリハビリのM先生だけは、最初からずっと替わらずに、お世話になっていて私の性格もよくご存知で、
いつも無理をしない様にと注意されています。
無理をせずマイペースで、明るく生き生きと、これからも
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