りうまち頚椎にくる
頚椎は7つの骨から成っていて、一番上にあるのが第一頚椎、直ぐその上に人間の命を司る脳髄がある。
ここは物を飲み込んだり、呼吸をしたり、命を司る大切な神経の集まった所です。
第一頚椎が動き始めると、脳髄にくいこんで傷を付けてしまう。
骨は修理が利くが、脳髄(神経)は一度傷が付くと修理が利かない。
だから非常に怖いのです。
私の場合、リウマチが首に及んできたのは発病してから、7.8年位した頃だった。
ミシンの内職をしていたが、今まで感じた事の無い肩のコリと胸のむかつき、首の後ろの重苦しい違和感を覚える。
月一回の診察の折、レントゲン写真で頚椎の変形は見られたが、
まだ第一頚椎にまでの異常は認められなかったので先生は「まだ大丈夫ですよ」と言われた。
この先生は、手首や指が痛くても手芸などは、どんどんやりなさいと言われるし、
膝が腫れたり水が溜まっても、自転車に乗ってもいいと言われる方なので、
まだ若かったのもあって、手芸をしたり自転車で毎日保育園の送り迎えや、買い物に8キロから10キロは乗っていました。
そして頚椎のほうは少しづつ変形が進行し、手足の先はいつも痺れている有様、そのうち痺れが嵩じて痛くて我慢が出来なくなってきた。
それに真っ直ぐに歩いているつもりが、どんどん道路の真中へ寄って行ってしまう。
夕方になると「ちょっとさすって」とよく娘に手足のマッサージを頼んだ。
このようになるまで、最初に首の異常を認めてから、16年と言う月日が経っていたことになる。
この頃が一番辛かったように思います。
初めてカラーをつける
お世話になっている担当医に訴えたが、丁度先生は開業に向けて準備に忙しく、
余り真剣に取り合ってもらえなかったけど、その先生が辞められて、新しい先生に替わるとすぐに、
首を保護するカラーを処方していただくことになった。
カラーとは布でくるんだスポンジでマジックテープで着脱するようになっていて、2.5CMほどの厚みがあり首に巻いて保護する物。
(これはソフトカラー)
常時着用するようにと言われたが、絶対に首を動かさないという約束でお風呂に入る時は外した。
しかし、寒い時は良いのだが、暑くなってくるとたまらない。
丁度この頃、更年期に当たり何もしないでじっとしていても汗がどっと吹き出て、又すっと引くという状態が繰り返していた。
先生に訴えると、プラスチック製のところどころに
空気抜きの穴が開いていて、上下の肌が当たる部分は、柔らかいスポンジにようなものでくるんであるのに替えて下さった。
しかしリウマチ患者は肌が弱くなっているので、カラーが強く当たる部分によく大きな水ぶくれが出来たものだ。
もう一つ夏のアセモ対策として、そのカラーの下にガーゼを巻き、一日に何度も取りかえることによって、
暑い夏をアセモ一つ作らず凌ぐことが出来たのは幸いだった。
そして一年半過ぎた頃、レントゲン写真を見た先生が「もうはずしてもいいでしょう」
と言われた時の開放感は、例えようが無いくらい晴れ晴れとしたものだった。
当時飲んでいた(リマチル)という薬も良く効いていたので、これでおしゃれが出来ると、早速服を買いに出かけたのを覚えている。
とにかくカラーをしていると着る物が制限され、それだけでおしゃれ心が萎縮してしまっていたから。
しかし、良い時は長く続かない。 だんだんとリマチルの効き目が無くなってくると同時に、首の具合も次第に悪くなってきた。
そしてとうとう再びカラーを付けるように言われてガッカリ!
今度は顎も動かせないような顎受けのついた、フィラデルフィアカラーというのを処方される。
これは装具の先生から直接現金と引き換えに現物を手渡された。
後日、市役所で手続きをすると通帳に支払った金額が振り込まれることになっている。
市役所で書類に記入する時、フィラデルフィアを間違ってカリフォルニアと書いてしまったのはご愛嬌だが・・・
しかし、このカラーは顎が動かせず、食事をする時とても困った。赤ちゃんの涎掛けのように、ハンカチを挟まないと汚れるし、
顎を動かさないと噛めないしとても苦痛だった。
カラー生活が長くなると、だんだんこちらもずるくなって、寝る時はもちろん、外出する時も外したりして、
適当にストレスを発散していた。
もちろん先生もそうしていることは、ご存知だった・・・と思う^^。
固定手術を言い渡される
そうこうしているうち、平成8年2月久しぶりに撮ったレントゲン写真を見て「あ!これはいかん」と言う先生の言葉。
「一番上の骨が動き出したね」 一番上の骨が脳髄にくいこんでいると言われる。
先生から「脳髄は物を飲み込んだり、呼吸をする大事な神経があり、損傷すると元に戻らない」
もし転んだショックで傷でもついたら植物人間になると言われた。
そして固定手術をするように薦められた。私としてはこの場合「お願いします」と言うより他に言う言葉が無い。
内心、『ついにきたか』と覚悟半分、不安半分の気持ちが正直なところ。
その帰り道、今まで固定手術をされた人の顔が浮かんできた。
Sさんは手術後、一年も経つのに痩せて青白い顔をして、体調が戻らず具合が悪いとの事。
額に五百円玉位のケロイド状の跡が二個所付いていたのを思い出す。
Nさんは、まだ若いのにおもちを喉に詰めて亡くなっている。私は首の手術のせいじゃないかと密かに思っている。
リウマチになっても、首の手術までされる人は多くなくて、実はこの二人しか知らないのだが・・・
それから通っている病院は当時MRIという機械が導入されていなかったので、他の病院へMRIを撮りに行ったり、
頚椎の手術はいつも通院している病院では出来ないので「日本で一番たくさん頚椎手術をされた経験のある」先生が居られる、
K市にある国立病院に診察に行ったりと半年以上掛かって、平成10年1月16日ついに入院の運びと相成った。
|